元日刊G代辣腕局長と大倉山 『ほうろく屋』で3人飲み 99

私が日刊Gンダイを愛読するようになってはや37年になる。つまり鹿児島局から異動で東京の社会部記者になって、件の5方面(池袋署)担当になってからのことだ。

あの頃は『東京タイムズ』(何と私は自宅で宅配購読していた)という夕刊紙もあって、こちらは警視庁記者クラブに加盟しているライバル社でもあった。

片や日刊Gダイは、概ね池袋駅で買うのだが、夕方といっても発売が午後3時半過ぎとなるから、警視庁に(しばしば桜田門まで呼び上げられていた)時に買って、有楽町線の電車の中で読むことが多かった。とにかく「エロからテロまで」世の中の森羅万象を、よくまぁここまで調べたもんだと思わせる内容は、今も引き継がれている。これが好きなんだな、人間の本質、本能を突いていて。だから日刊Gンダイの「コラムニストに」と声がかかった時は、欣喜雀躍した。私は元々新聞記者志望だったのだ。だから今でもルポライター、ノンフィクション作家を名乗っているのだが。

そんな日刊Gダイの競馬🏇🏇🏇担当でありながら、実は政財界の裏側に通じていて、表には出ないで社を、故川鍋孝文社長を支えていた事情通、情報通の元編集局長が、T上邦宏さんで、その彼と元編集長の F(木啓孝)ちゃんと3人で、横浜大倉山駅前の『ほうろく屋』で飲んだ。

T上さんの名前は、 私の郷里大分の出身であることや私がとても親しかった◯HK大阪局長などをしていた故 御手洗正彦さんとO分上野ヶ丘高校の同級生だったことなどは、 Fちゃんから聞かされていた。

そんなT上さんに初めて会ったのは、私が2000年頃から取材を始めた『無念は力』の執筆のときだ。児玉隆也氏の取材ノートに出てくる人物を虱潰しに当たっていく過程で故佐藤昭さん関連で行き当たった。おそらく Fちゃんの紹介で知り合ったのだと思う。会って分かったのは、彼が噂に違わず恐ろしいくらい政財界の裏情報に通じていることだった。佐藤さんからは長い長い丁寧な手紙を戴いたのは、T上さんの口利きなので、無碍にできないと判断したからだろう。本の中でこの手紙は使わせていただいた。

そのT上さんから先月、10数年ぶりに電話がかかって来た。「一平ちゃん、この電話、生きている(通じる)んやなぁ」が第一声だった。私の携帯には、「T上」と名前が出たので、すぐ名前を呼びかえす。「横浜に住んでいる者同士、飲もうや」とのお誘いを受けたので、マチュピチュ中毒話をして、「私の体調が万全となってから」と待って貰っていた。

彼の信奉者でもある Fちゃんに声をかけると、「是非是非一緒に」ということで、思いがけなく3人飲みとなった。

定刻主義者の私は、午後6時前4分に到着すると、すでに2人は日本酒『景虎』でいっぱいやっていた。

詳細は書けないが、T上さんが『Dービーニュース』の記者出身だとか北海道選出の国会議員の秘書をしていたとか、競馬記者をしていたお蔭で、政財界の大物たちと知り合う様になった経緯など、面白すぎて、時間が経つのを忘れてしまった。

やはり事情通の Fちゃんがいたから、話がどこに飛ぼうが受け止められる。面白すぎて、面白すぎて、もう今の時代、こんな政財界の裏話を聞けるチャンスはない。し、また話せる人も残っていないだろう。

いちばんビックリしたのは、A大臣の口がなぜ歪んだのか❓ 若い頃何があったのか⁉️ だった。その理由や経緯をよく知っている人が近年亡くなって以後、彼が凄く元気に、かつ傍若無人に、暴言を吐きまくる様になった・・・・という話はなかなか信憑性に富み、かつ説得力があって圧巻だった。

『ほうろく屋』といえば、カワハギの薄造りとトロ三昧、クジラ三昧がウリのお店で、今回はカワハギとトロ、ツブ貝、イカ、タコが並んだが、2人はカワハギとトロは食べたが、あとはもっぱら飲み続けるのみ。まるで水を飲むがごとくだ。

私は時間の使い方がどうしても授業の感覚が身についていて、90分〜100分がひと区切りになる。なのに4時間(240分)近くも飲んでしまった。面白かった。僕らはいつも割り勘なのが好いね。

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