5日ぶりの神田小川町 7

紺碧の空が随分高くなった。週刊誌記者2人が、取材に来たのが24日(水曜日)午後だったから、小川町の事務所に出るのは5日ぶりだ。やはり賑やかな街に出ると心なしか気分がはしゃいでしまう。

先週は『日刊ゲンダイ』のコラムの締め切りがあったが、これは事務所でも書斎でもどこで書いても同じことなので、わざわざ往復2時間、なんやかんや乗り換えで3時間近くも無駄にするのは嫌なので、結局横浜の自宅で作業を進めた。

コラムは、私は隔週なので時間の余裕はあるのだが、アレにしようか、コレにしようか、3つ4つテーマがあって、いつもギリギリまで悩んでしまう。他の執筆者は鞍馬天狗のような鮮やかな剣さばきならぬ筆さばきだが、私はどこかホンワカしていて、何となく大村崑ちゃんの頓馬天狗ぽいところがある。

前回は事件になる前にと、「スルガ銀行問題」をテーマにしたのだが 、(Googleで日刊ゲンダイ 小俣一平 と叩くとこれまでに掲載されたコラムが出てくる)、「 話が難しすぎる」と言う人が周りに結構いて、この手のコラムの難しさを知る。

今回はメディアにまつわる話にした。それほど時間が経っていないテーマなので、日頃から考えていたことでもあり、締め切り前日の木曜日に送稿出来た。今日(29日)発売だから買ってね。

金曜日は件の週刊誌に頼まれた事件を、「全く知らない人が読んですぐ分かるよう俯瞰して欲しい」という要望に応じて、考え考えしながらレジュメをまとめていく。

土曜日は、朝から来月初旬のセミナーのパワーポイントの製作に追われてしまった。遠近両用と老眼鏡とを使い分けないと、データの小さい数字や細かいグラフが読めない。「疲れは眼から」というのがよく分かる。

原稿やパワポがひと段落するたびに宮城谷昌光さんの『呉漢』を読み返した。この本は出た時にすぐ上下2巻を一気に読み終えたのだが、宮城谷さんの作品は何度も読み返すと更に味わいが深まる。『孟嘗君』『晏子』などは何度読み返したことか。癒される〜

買い物にちよっと出た以外は、終日家にいて3食とも自分で作って過ごした。いま卵焼き作りに凝っていて、随分上手くなった。話し相手はいないので、野良猫金ちゃんに、コッソリ餌をやるときに声をかける。金ちゃんはこのところ私がそばに行っても逃げなくなった。そりゃそうだわなぁ。

油断すると家人がエアコンの脇の軒下に隠して置いてあるプラスティックの餌用の皿を捨ててしまう。よく見つけるよなぁ、ので、またゴミ箱の中から新しい適当なものを探すことになる。こういうのんびりした秋の一日も気に入っている。

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