試練は続く 71

2019年1月1日午後5時帰国した私は、そのままタクシーに崩れ落ちると、新横浜にある横浜労災病院🏥へ直行。何と言っても12月22日のアイスクリーム🍨🍨2口と、帰国途中リマのホテルで食べたスイカ🍉🍉のカット7切れが唯一の固形物で、あとはひたすらミネラルウオーターだけ。つまり10日間の断食と全く同じで、しかも移動は車椅子♿️♿️のみだった。

病院🏥では食中毒による胃炎と診断され、薬を💊💊飲んで、少しずつ回復に合わせて食事の量を増やせば良いとのことだった。よっしゃ〜。ひたすらミネラルウオーターのみの生活に、屁のような私も肝心の屁が出ないほど衰弱しきっていた。とにかく悪いところはどこもないのだから、ひたすら養生に努めるのみで良かったはず。

ところが予想以上の衰弱でモノが喉を通らない。えっ🤯🤯🤯。第一10日以上にわたる不眠症で、頭は朦朧、思考が出来ない。1日2〜3時間眠れているのか。この時の日々の幻想が恐ろしいほどリアルで、かつ魔界転生風で、必ずいつか書いてやろうとメモを取るもすぐ力尽きてしまう。

2日は重湯1杯と豆腐の味噌汁3分1椀が限度だった。ただ夜は大分から取り寄せておいたふぐセットがあったので、てっちり+てっさ。大好物でも喉を通らない。「12月に万作で食ったからもう良いよ」と刺身4〜5切れで、もういっぱい。鍋もひと椀の半分も入らなかった。ただ「甘酒が体力回復に良い」と大家さんの言葉に従って、1年中常備している『篠崎の甘酒』をコップに1杯。だが飲みきれない。

3日も 昨夜の残りのフグ🐡🐡雑炊でお椀1杯。この頃から「食べなきゃダメ🙅‍♂️👎」コールを耳元で繰り返されるが、千枚漬け、生姜の漬物、ラッキョウ、長野産キムチをお菜に茶碗半分の白米を食べる。あとは虎屋の夜の梅とデコポンを2袋が精一杯。

4日は駅前の『ちよだ寿司』で棒鯖とお稲荷さんを買ってきてもらうが、普段の3分の1がやっと。やはりこれだけでは、身体全体から全く力が湧いてこない。すでに自力更生を言い渡されていて、「あれ取って、これ取って」は通用しない。この段階で手助けしてもらえないと、とんでもなく辛い。

午前10時〜2時間、ご近所の贔屓のマッサージ『らーくアルファ』のS田先生に身体全体から足の裏のツボも徹底的にやってもらう。ただ我が家から3〜4分の治療院に着くまでに20分以上かかってしまった。帰りもまだまだ同様だった。夜はタラバガニの鍋。カニの足1本でギブアップ。豆腐と白菜をお椀1杯がせいぜい。ベッド🛌🛏に横たわってばかりいると本当にこのまま寝たきり老人だと自分でも焦るが身体がついていかない。トイレに行くのも壁に手を這わせて移動する始末だ。

我が家は、介護老人用に作られた中古住宅を3年前に大家さんが購入したもので、至る所手すりが付いていて普段は動きやすい。が実際にフラフラ状態になるとそんなものどこにあったっけ🤭🤭🤭っていう感じだから不思議やね。

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