初仕事そして救急車 73

6日は、右半身打撲状態ながら、食欲はこれまでの20%ぐらいから40%ほどに向上。昨夕の入浴の時、体重が62.6とペルーに行く前の73キロから一気に10キロ痩せていた。おそらく羽田空港に戻った時は60キロは切っていたのだろう。◯HKに入局した1976年4月の健康診断で、体重は54キロか57キロだったから、実に40年ぶり。

7日はM蔵野大学とW稲田大学院のトリップル授業。果たして国際展示場まで東横線ー大井町線ーりんかい線を乗り継いで行けるのか⁉️ヤメた。体調が完全ではなく、乗り継いで行く自信がない。こう決めると私はもう一度ベッド🛌に戻って午前11時に自宅からタクシーで🚕出かけることにした。大正解❣️高速道路を35分で走って大学正面へ。早く着きすぎたが身体がムカムカするので、講師控え室のソファーで1時間余り眠った。

やはり午後6時15分からのW稲田の授業は無理があると判断。大学院の事務局に電話して休講を頼む。さぁあとはここで180分連続授業をやって、またタクシーで帰れば大丈夫。再来週の講義の時は、いつものバリバリ元気になつているだろう。この日のテーマは、3時限と4時限を通して、「ヤラセ問題」だった。教材には、『日本の素顔 〜日本人と次郎長』それに今ではNHKのディレクターですら見る機会がほとんど無い『NHKスペシャル〜幻の王国 ムスタン』だ。「仕込み」と「ヤラセ」吉田直哉さんの話などを盛り込みながら、解説していく。やはり屁のようなオヤジでも、いざ授業に入れば真剣勝負だ。帰りのタクシー🚕🚖から見た東京の冬の夕暮れが美しい。

家に帰り着く前にセブンイレブン妙蓮寺店で親子丼とジャンボおむすび、おにぎり各種を買う。昼から何も口にしていないため少しムカムカするので、すぐジャンボおむすび頬張ったが1🍙個が限度だ。そのままベッド🛌でダウン。疲れた〜。

「苦しい‼️ダメだ🙅‍♂️🙅‍♂️👎👎‼️」呼吸がしにくい。息苦しい。金魚鉢の中のデメキンが酸欠でアップアップしている状態だ。「なっ何だ‼️苦しい、息が出来ない」午後8時前、すでに自動車教習所から娘が帰っていて、そこへ初仕事だった大家さんも。間もなく救急車のサイレンの音がする。タンカで運ばれる。「横浜労災病院は、断られました」の声がかすかに聞こえる。しばらくして「ケイユークリックは脳のCT🧠は出来ても、万一手術の場合は無理なので他に回ってもらうことになるがそれで好いか?」と言っている。「えっ🤯🤯🤯これってヤバいんじゃん。せっかくA(田芳生)ちゃんの本が18日に出来上がるのに・・・」突然涙が溢れでる。F(木啓孝)ちゃんに連絡しなくっちゃ、あー66で最期か。オヤジの死んだ歳まであと1歳だったのに。

ケイユークリックというのは、昔の警察病院で、『警友クリニック』と書くと知ったのは、救急車で運ばれ🚑🚑、処置を受けること4時間の後の事だ。「小俣さーん、起きてください。一昨日打った頭、脳の中🧠🧠全く何もありません、全身と問題なし。綺麗なもんでした。糖尿病以外は完璧です。まぁストレスなどからくる『過呼吸』ですね。息苦しくて、パニック🤯🤯🤯なったんですね。もう帰って大丈夫ですよ」心配そうに見守っていたらしい大家さんの顔が、『過呼吸』との説明を横で聴いた瞬間、メラメラと怒りの炎が🔥🔥🔥燃え上がるのを見た気がした。

ノー天気な私は、「怪我の功名じゃん‼️2019年全身健康体なんだから」とついつい余計なことを言ってしまい、無視される。あちゃー🤷‍♂️🤷‍♂️🤷‍♂️。午前2時半、いつの間にか1月8日になっていて、机の上に娘に頼んでおいた『イノベーター2019』のカレンダーが置いてあった。

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コメント

  1. きつね@青葉台 より:

    劇画チックな毎日ですね。お疲れ様です😆🎵🎵