「若い若い」と思っていてはいけない。身の程を知らなければ・・・。そんなことを感じさせた、本当に疲れた一日だつた。
月曜日は、これまでW稲田大学院の講義だけだったが、11月最終週の今日から、M蔵野大学法学部で「コミュニケーションの政治理論」の講義が始まった。
初日早々機材の不具合が相次いで、NHKスペシャル「人類誕生」の第3回を見せたかったのに、微動だにせず残念。パワポもマック仕様は相性が悪いようで、授業の途中で画面が30回以上も消えて、まっ暗になってしまった。仕方がないのでひたすら私の資料を駆使して喋り続けた。連続3時間授業で、おしゃべりの私でも疲れたわぁ~。聞くほうの学生も大変だっただろう。
午後4時10分に授業が終わると、国際展示場 33分発新木場行きに乗り、そこから有楽町線で飯田橋に出てさらに東西線に。そこから2つ目の早稲田で降りるのだが、飯田橋駅ホームのエレベーターに乗りこんだ途端驚いた‼️
我が親分E老沢勝二さんが、ハットにステッキ姿で仁王立ちしているではないか。「おお、親分‼️お懐かしいです」とE老沢派の若頭補佐を自認する私としては、平身低頭挨拶する。同じ東西線だというので、あとは半歩下がって親分のお言葉に耳を傾けながら褌担ぎのようについていく。
▲E老さんの母校W稲田キャンパス。銀杏が綺麗だ。
E老さんが偉大なのは、立場は変わってもいつも去華就実、質実剛健、質素、倹約家なところだ。今だに70余りの役職 (W稲田関係だけでも校友会長など10と言っていた)についているというのに地下鉄を乗り継いで、落合からは歩いて帰るそうだ。それだけでも親分の人柄がよく分かる。「健康のためには、歩くのが一番だよ」と笑っておられた。
バカな紅白歌合戦プロデューサーの使い込み事件で、引責するというとんだトバッチリを受けたE老さん。メディアの悪意あるステレオタイプの報道で気の毒なことをしたが、古き良き時代の保守派の記者だった。
84歳、とても元気そうだったが、昨年暮れに体調を壊したとか。讀賣新聞のナベツネ氏も不調らしが91歳だそうだ。大物記者の話題が出たからか「政治家も記者もみんな小物になったからね。小俣くんは66かぁ。まだまだ洟垂れだなハッハッハ。これからも頑張りなさい」とE老さん。「えっ🤯🤯️🤯親分❗️あっしは今さら何を頑張るのでしょうか⁉️」と聞きたかったが黙っていた。
親分の口癖は「起きて半畳、寝て1畳」。週刊誌の記者が「別に本宅があるのでは❓」と疑ったくらい古い古い東中野のマンションに今も奥さんと2人で暮らしているという。今日も「小俣くん、もう(東中野は)終の住処になったよ」と笑っておられた。
早稲田駅で別れる時も、当然のことながら電車が見えなくなるまで、ホームで深ぶかと頭を下げて見送った。小俣一平 元◯HK E老沢一家 報道局 滋野組 社会部 I手上会所属➖これが今も変わらぬ私のポジションだ。🎶 義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界♬ なのだ。
駅を出るとそのまままっすぐ『キッチン南海 早稲田店』へ。3週間ぶりかな、本当に久しぶりだ。「今日こそは」と思いつつもタイミングを逃していた。で、この時期はいつも「エビ🦐🦐&カキフライ」定食に、さらにカキフライ2個を追加。カレールーはここ独自のサービス。
▲途中まで食べることに一所懸命で、撮影を忘れていた。ちょっと汚いかなぁ。ごめん🙏🙇🙏🙇。
昼飯抜きだったから美味さもひとしお。この後大学院の授業が済んだら、ヘロヘロだった。やはり4時間半ほぼ連続というのは、疲れた〜。