昨夜の仲間たちみんなにも口頭で伝えたのだが、私は1月17日に家族からの独立を宣言した。その項は読んで貰えばいい。
その日から3つ変わったことがあるので、みんなにも紹介した。
これまで家族の意向、我が家の空気に合わせていたが、自分のアイデンティティを取り戻すことにした。
① 横浜DeNA ベイスターズファンだったが、18年前に戻って 広島東洋カープファンとして復活
② 同様に北海道日本ハムファイターズだったのを福岡ソフトバンクフォークスに戻る。
たかがプロ野球と侮るなかれ‼️私は幼稚園児の頃からパリーグの南海ホークスの大大大大ファンで、鶴岡監督の下 ①広瀬 ②野村 ③ 穴吹 から入って④ 杉浦忠投手に到達した。
広島カープもこれまた幼稚園児の頃からの贔屓で、地元大分の佐伯鶴城高校から阿南準郎さんが入団したのがきっかけだったかと思う。父が巨人嫌いで、国鉄と広島を応援していて、広島だと門前眞佐人さんの名前をよく聞いた。私の頃はもう引退していたかと思う。長谷川良平投手は、「平」の字がつくという単純な理由から。ライトの森永勝也選手も好きだった。燻し銀のようなバッターで、ここぞという時に撃つ。巨人に移籍して、不振だった4番バッター長嶋茂雄さんの、人生最大の屈辱的代打交代をしたのがこの人で、見事にヒットを打ったことは有名だ。
まぁ今考えるとオヤジの強い者が嫌いというのを受け継いだのかも。南海は杉浦さんを得て日本一になったが、広島はその後も低迷し続けた。1975年ついに念願の初優勝を遂げた。
この時ちょうどNHKの入社試験で、役員面接で「今年の一番のニュースは何だと思うか」と訊かれて、即「広島カープの優勝です」と応えて大いに受けた。この年の受験生の9割方は、「国鉄のスト権スト」と答えていたから異色だったのだろう。広島話と選挙の国会議員の選挙のアルバイト話で40分以上話して、理事たちがおおおに笑い😄😝、大いに質問してくるのを愉しく打ち返した。面接室から出た途端、知らない人事の人が笑いながら🤣🤣🤣右の親指と人差し指で ◯を作ったのをよく覚えている。だからNHKに入れたのは広島カープのお陰だと今も信じている。
③ 漢字の小俣は、「小」の文字が先鋭、つまり突き刺さっているし、「俣」は、「天」の字が、後ろ足で蹴っているように、何かしら「戦闘的」に見えるのが、ずーと前から気になっていた。若い頃から突破者的な考え方、生き方だったのは、意外とこの所為かもしれないと昨年あたりからツラツラ考えていた。
そこで今回の独立を期して、『小俣一平』改め、『おまた一平』に表記することにした。一平は、父の親友加藤柔郎さんが貧乏で、貧乏で「せっかく息子が生まれたというのに何もやるものがなくて申し訳ない。俺に名前を付けさせてくれ‼️」と、すでに「純」と決まっていたのを引っ剥がして「一路平和へ」から、『一平』としたと両親から聴いた。私が平和主義なのは生まれた時からの宿命なのだ。まぁ戦争が終わってまだ7年のことだからね。以後刷る名刺はこれになる。当分古いのが沢山あるけど。覚えておいてね❣️