5方面記者たち、新宿警察署に37年ぶりに集結 ② 96

午前11時というので、午前9時45分の電車に乗る。この時間だと随分空いていて、菊名で特急に乗り換え、1両目の「優先席」を狙う。バッチリ👌👌これで新宿3丁目まで。そこで丸ノ内線に乗り換えたら、ラッキーなことに富士見町行きだったので、そのまま西新宿へ。30分も早く着いてしまった。

10分ほどでM日新聞のO山はるな記者が現れ、挨拶する。とても感じの好いし、ハキハキしている。それから11時までにJ事通信のS本早紀記者、この2人が今日我々を取材するようだ。そこへ元S経でその後T京に移籍したA藤徹さん、K同通信のF島尚文さん、Y賣のK出重幸さん、最後にJ事通信のN川さんと、よくまぁこれだけ揃っ。たもんだ。あの日に居て、今日来られなかったのはA日の故•竹信さんだけだ。竹信さんはモルジブだったか海外の海で遊んでいて、海難事故で亡くなった。M日新聞は当時の記者がほとんど記者クラブに来ない人で、誰も全く接点がなかった。

さてこの5人の話を総合すると1982年の11月下旬ごろ、みんなで東長崎の『松葉』という藤子不二雄さんの『まんが道』に出てくる中華料理店にラーメンを食べに行った帰り、「この近くにトキワ荘がある」ということで、探しに行ったところ、まもなく解体するとの板切れに書かれた表示を見つけた。えっ🤯🤯🤯🤯⁉️ これが始まりだった。

手塚治虫さんを神のように崇めているA藤徹さんが、虫プロへの取材担当となり、この解体計画を説明。「出来れば手塚さんがトキワ荘にお別れに来て欲しい」旨の交渉をする。しばらくして、その日のうちに手塚さん直々に電話が入る。A藤さんは、まさか手塚さん本人とは気づかず、「手塚⁉️ あっ🤭🤭🤭手塚先生❣️❣️❣️」かくして手塚さんが来る日に合わせて、我々は一斉に取材することになった。

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