一昨日(10日) ◯HK警視庁キャップのI 倉弘政さんから「5方面記者クラブに置いてあった手塚治虫さんが、トキワ荘の天井板に描いたリボンの騎士とサインの板絵を、豊島区が来年作るアニメミュージアムに置かせて欲しいと言ってきましたが構いませんか❓」との問い合わせがあった。当然快諾した。
その数時間後に今度はY賣新聞のK出重幸さんからメールで、「M日新聞のO山はるな記者が、手塚板絵のことで取材したいと言って来ているので、良かったら皆さん12日午前11時に新宿警察署の署長室に来ませんか❓」と言ってきた。
何のこっちゃ⁉️と思われる方々ばかりだと推察されるので、詳しくご紹介する。
まず5方面記者クラブとは、今は無いらしいのだが、私たちが記者をしていた1970〜90年代には、警視庁の方面に合わせる様に、各マスメディアは、1方面(丸の内署) 2方面(大崎署) 3方面 (渋谷署) 4方面(新宿署) 5方面(池袋署) 6方面(上野署) 7方面 (本所署) 8方面 (立川署) に記者ら配置して、その方面の取材をさせていた。殺しもあれば火事もあり、雪で☃️☃️❄️混乱すればそれぞれの方面の話は記事にする。だいたい担当は各社1年間と決まっていた。
池袋署に記者クラブがあった5方面には、A日、M日、Y賣、S経、T京(4方面と兼務) 、K同通信、J 事通信、それに◯HKが常駐していて、他社が来ることは全くない。殺人事件が起きて方面に捜査本部が置かれると民放のテレビやラジオの記者が所轄署に顔を出す程度で方面とは無関係だった。
5方面の守備範囲は広く、練馬区、板橋区、北区、豊島区、文京区が行政区分で、こちらの暇ダネも担当した。その暇ダネの一つが、今回話題になっている豊島区東長崎にあった「トキワ荘」の天井板に描いた手塚治虫さんの板絵🖼のことだ。この話つづく。